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コミュニケーションメディアの変遷からみる次世代のメディア @ヒューマンコミュニケーション基礎研究会(HCS)2010年3月8日(月)−3月9日(火)

山本, コミュニケーションメディアの変遷からみる次世代のメディア, 信学技法(IEICE Tech. Rep.)Vol. 109, No.457, pp.19-20, 2010.

はじめに

コミュニケーションメディアは,テクノロジの進展に直接・間接の影響を受けながら次々と進歩している.通信回線は10年前には考えられないほど高速大容量化し,テレビ電話の環境は携帯電話ですら現在では全く珍しいものではなくなっている.しかしユーザの選択は必ずしも技術の高度化や通信の高速大容量化には沿っていない.むしろその逆なのである.これを単に技術のコストの問題であると捉えてしまっては次世代に求められるコミュニケーションメディアの要件を見誤ることになろう.本稿では,これまでのユーザの選択がどのように変遷してきたかを概観し,次世代のコミュニケーションメディアがどの方向に進んでいこうとしているのかを考えたい.

メディアの変遷

音声電話から電子メールの時代

図は,コミュニケーションメディアの変遷を表現したものである.縦軸はそのメディアが稼働する時間との関係で生じる「機会コストの低さ」を示し,横軸は年代である.

1876年に電話が発明されて以来,免許不要の電子的コミュニケーション手段としては電話とFAXが主役であった.1970年代にはいってようやく電子メールが登場した.しかし当時は電話と並ぶようなメディアとは認識されておらず,「マニアの遊び」と捉える見解が主流であった.現在はインターネット上で交換される情報量は電話でのそれを上回っており ,電子メールなしのビジネスの方が例外的である.

情報流通量の計測は論者により多少異なる.たとえば[1][2]が参考になる.

IM・Twitterの時代

ちょうどそのころ,イスラエルのMirabilis社(後にAOL社が買収)がICQというソフトウエアを発表し,爆発的にユーザを獲得し始めた[3].ICQは短いテキストメッセージだけを特定のユーザ間でやりとりするためのソフトウエアである(後にファイル交換の機能などが付加されていった).ICQと同時期に,Microsoft社はInstant Messageを,Yahoo社はYahoo Messengerをリリースした.これらの短いテキストだけを交換するソフトウエア(またはサービス)を総称して「インスタントメッセンジャー」と呼ぶことがある.

多くのアナリストは短いテキストだけでは到底コミュニケーションのニーズに対応できないと考え,ビジネス利用は困難と評価していた.だが実際にはWebのユーザの伸び率よりも遙かに急峻にユーザを獲得していき,ビジネスシーンでの利用も活発化した[4].提供会社はメッセンジャーサービスの覇権を握ることの重要性をよく認識していたので,軽軽には互換性を打ち出すことができなかった.いまだに各社のソフトウエアには互換性がないのである.

近時の最大の話題はTwitterであろう[5].Obvious社(現Twitter社)が提供したソフトウエアで,Webページまたは専用ソフトウエアから「ツイート」と呼ばれるつぶやき(他者の反応を前提としない発言)を投稿するメディアである.メッセンジャーが最小でも全角250文字程度のテキストを送付できたのに対し,Twitterは140文字を上限としている.画像や音声などを投稿したいときは原則として他のWebサイト上に投稿してそのURLのみを投稿するしかない.

このメディアも登場当初は到底ビジネスのニーズに対応できるようなものではないと考えられていたが,ユーザの数は現在も増えており,日々送出されるパケットの総量も急峻に増加している.情勢不安定な地域の内戦状況や選挙状況の速報に使われ,注目度は飛躍的に高まった.国内でもNHKをはじめとする放送各社や新聞社が利用するに至っている.

メディアの変遷が示すもの

このように並べて気づくのは,時代が進むにつれてユーザを獲得しているコミュニケーションメディアとは,一回の通信のサイズがより小さなものに進んでいる,ということである.

1993年の情報ハイウエイ構想以降,通信回線は高速大容量化を進めてきた.その中で期待されたのはたとえば遠隔会議やテレビ電話といったコミュニケーションメディアであった.たしかに,2010年の現在,一般的な家庭でテレビ電話を利用することはさほど困難なことではない.多くのノートPCにはカメラが内蔵されているし,ADSL回線も広く普及しているといってよい.ところが,実際にテレビ電話を使おうという人は非常に少ない.出張の回数を減らすためにテレビ会議を使う機会は確かに増えているが,同じ社内での利用などが多く,日々のコミュニケーション手段と呼ぶには躊躇を感じざるを得ない.

この傾向を前提とすれば,ユーザをもっとも多く獲得する次のメディアは,テレビ電話のようなリッチな動画をやりとりするメディアではないことは確実である.

情報ハイウエイ構想がもたらしたブレークスルーとは,リッチな映像が高速にダウンロードできるようになったことではなく,少ないパケットがそれにふさわしい価格(すなわち無料)で交換できるようになったことにあると理解すべきである.

小さなサイズの理由

倫理的価値観の変遷

では,なぜこのような少ないパケットのメディアが好まれるのか.まずは倫理的価値観の変遷と連動していると指摘しうる.それは「個をもっとも尊重する」という価値観の台頭である.これは自分の時間を最大限尊重すると同時に相手の時間も最大限尊重するという価値観につながっている.自分の時間は煩わされたくないものであるし,同時に相手の貴重な時間もむやみに煩わせることは避けるのが倫理にかなう.

この立場からは,用件もなしに割り込みをかけることは倫理的には好ましくない.可能な限り割り込みを避けようとすれば,ささいな用件で電話をかけることを避けることになる.IM以前のコミュニケーションメディアは,原則として相手に割り込みをかけるメディアと言える.したがって極力利用を避ける傾向が生まれる.それに対してIM以後のメディアは原則として相手に割り込みをかけないメディアなのである.

割り込みをかけないところから,相手が自分のメッセージに気付かないこともある.そのことはこのメディアの前提ともいえる.それゆえ,相手から無視されたと感じて傷つく必要がない,という点も注目すべき特徴である.

多忙な日常でのメディア

IMやTwitterのような少ないパケットのメディアが好まれる理由の一つにバックグラウンドで動作することがある.現代人はとにかく忙しい.移動時間ですら,ゲームやケータイでのメールチェックに余念がない.このような生活習慣のなかで,新しいメディアが参入する余地はどれほど残されているだろうか.自宅に帰ってゲームで遊ぶ時間を減らそうと思うほど,テレビ電話は魅力的なものではない.電話すら,ゲームの時間を浸食することは困難である.IMやTwitterといったメディアは本人の活動を止めずに利用するという点で旧来のメディアとは異なる特徴を有するといえる.PC起動時に自動的に起動し,メッセージの発信のときですらほとんど自分の時間を割かないでもよいのである.

簡単にコミュニケーションを始める

IMやTwitterが特徴的な側面はほかにも多数あげることができるが,ここではコミュニケーションを始めるコストについて言及しておきたい.

あらゆる事象と同様,コミュニケーションもそこに至る流れというものがある.たとえば国際的な貿易条約締結作業が実務者間で執り行われる,というようなシーンも,ある日突然そのような会議が開催されるわけではない.国連のレセプションなどで挨拶を交わすなど外交官レベルでの接触が事前に必ずあり,その後も水面下での模索が続いて,その結果として実務者間の協議につながっている.

このように,まずは小さく些細なインタラクションが生じ,そこから大きなインタラクション(一般的には直接対面すること)へと至る.コミュニケーションの内容も,最初から本質的な情報交換が始まるより,挨拶などから入る.ビジネスシーンなどでは挨拶もそこそこに情報交換が始まることもあるが,一般的には,日常的に些細なインタラクションが繰り返される結果として,大きなコミュニケーションチャネル(一緒に飲みに行くなど)が開かれることとなる.

電話を含め,通信回線上でのコミュニケーションには「接続」「非接続」の状態しかない.それゆえ,相手の忙しさを推し量ることも困難であるし,共通の話題を見つけることはもっと困難である.このような関係では大きなコミュニケーションチャネルが開かれる機会も失われていく.

TwitterやIMでは,このようなコミュニケーションの端緒を担うことができる.たしかにTwitterやIMではコミュニケーションの目的全体をカバーすることはできない.しかし,大きなコミュニケーションを作りだす端緒を作りだすメディアと理解するのであれば,それを利用する機会は(大きなコミュニケーションを実施するソフトウエアを使う機会より)圧倒的に多くなることも容易に理解できる.なによりそのようなソフトウエアこそニーズに沿っていると考えられる.

コンテンツなきコミュニケーション欲

端緒を作りだす技術

我々一般ユーザが次のコミュニケーションメディアに求めるものはなにか.それはコミュニケーションそれ自体を作ってくれるメディアである.

そもそも,なんらかの用件があれば電話をかけることになんら倫理的な問題は生じない.だがしかし,ほとんどの場合我々は相手に対するメッセージ・コンテンツを持っていない.たとえば高校時代の友人のことを懐かしく思い出す日があったとしても,だからといってただちに電話をかけることにはつながらない.話す内容がないからである.毎日顔を合わせている友達同士ではどうか.この場合も,意外と持っていない.田舎に住む祖父母と都会に住む孫の会話も,話題豊富とはいかないものである.

ではコミュニケーションしたくないかというとそうではない.コミュニケーション自体はしたいのである.

旧来のメディアはメッセージがなければ相手とのチャネルが開かれない.それゆえ女子高生たちは「どう?」とか「ひま?」などメッセージを作りだす必要があった.

この意味から,IMや特にTwitterはまさに新しいメディアを指向するものであると評価しうる.相手に対する用件などなしにコミュニケーションの可能性を開こうとするからである.

この方向の技術が向かうのは,一見すると無意味に思えるようなプレゼンス情報(一般的にはその人がどこにいるかの情報を指すが,広く,何をしているかも含む)を定期的にまたはなんらかのアクション(椅子に座ったなど)に応じて単純に送出するシステムである.すなわち,現状のTwitterよりさらに手軽にデータをネットワーク上に送出するメディアである.あの人がいま何をしているか,を知ることで偶発的にコミュニケーションの発生を期待するものである.実現にはユビキタスコンピューティングの研究が活かされることになろう.

ここで注意が必要なことは,二つある.一つは「ユーザの発信コスト」の観点である.Twitterが広まる前には,ブログが注目を集めていたがブログはTwitterほどのユーザを獲得していない.なぜか.コンテンツを作成するというのが一般に考えられているよりもはるかにコスト(心理的なコストを含む)のかかる作業だからである.毎日,まっさらの原稿用紙に日記を書き続けるということがいかに難しいかは,多くの人が認めるところである.ブログのような形で毎日情報発信できる人など,そんなにたくさんはいないのである.それに対してTwitterはぐっと心理的なコストを低減させている.これはコミュニケーションメディアの本質ともいえる.なぜなら,そのことによって情報発信者がぐっと増えるのであるから.だとすれば,自動化を進めることがメディアにとって重要であることは容易に想像できるであろう.同時に,そのシステムは些細なメッセージを発信するのにふさわしいコストであることも重要であることはすでに述べたとおりである.

もうひとつ注意が必要なことは「プライバシー」の観点である.手軽に自分の「いま」が投稿されるシステムに期待する人も,監視されることは望まない.この問題は一義的な回答が難しい.どこまでがサービスで,どこからが監視なのかの切り分けも明確ではない.そのメディアをごく一部のユーザだけが利用している段階と,社会に受け入れられるメディアに至ったときとではその基準も大きく異なるだろう.google earthのように,議論の前に使ってみるというやり方もあるようである(ただし筆者は賛成しかねる).

behavioral threshold(行動閾値)を超える技術

おそらく,偶発的な発生では足りない,というニーズは多数ある.そこで,端的に共通の話題を見つけ出すあるいは作りだす技術が想定可能である.

ここでもプレゼンス情報は重要であろう.類似(なにをもって類似とみなすかは個別に設定されなければならない)の行動が見られた人同士には共通の話題の可能性も高い.

その他,あらかじめ人間関係(親しい友人同士であるとか近い親族であるとか)がわかっていれば,ゲームやクイズを提供するという方法も有望であろう.話題がない人の間にコミュニケーションを生じさせるための刺激としてなにを与えればよいか,その刺激をどのようにどのくらい与えると行動閾値を超えてコミュニケーション行動に至るのか,ほとんど体系的には取り組まれていない.今後の進展に期待したい.

まとめ

本稿では,コミュニケーションメディアの変遷がリッチなコミュニケーションとは異なる方向に進んでいることを指摘した.次世代のメディアの物理的特徴は一回の通信量が小さいことにある.そしてそれはコンテンツなしでも他者とつながっていたいというコミュニケーションへの欲求を満たす二つの技術開発(コンテンツなしに発信することができる技術開発とコンテンツを作り出してくれる技術開発)の方向を示唆していることを指摘した.

参考文献

mailiconyoshinov.yamamoto@aist.go.jp